守門岳

日時:2025 年 12月28日(日)~29日(月)

参加者:N澤、K野、M角、M月

【12月28日】 旧大原スキー場第一リフト~小烏帽子(幕)
【12月29日】 守門岳(袴岳)山頂~小烏帽子~旧大原スキー場第一リフト

数名の会員が雪の守門岳に行ってみたいという。あぁ,あの守門岳か…。雪の守門岳は,2014年1月に会員8名で、越後駒遭難の際にお世話になった会OBの案内のもと登山して以来。その時の同行者で現在も会員なのは数名となってしまった。自分も入会してまだ2シーズン目の冬山で、その時は稜線より上はホワイトアウト状態で視界が効かず、挙げ句、広大な雪庇の上でヒドゥンクレパスにハマった因縁の場所だ。

計画では12/27から予備日をいれ3日間としておいた。直前の12/26(金)朝の時点の天気図は日本列島が縦縞で覆われでおり、日本海側はおろか関東北部まで降雪。回復は12/28となる見込みから、急遽、民宿大雲沢ヒュッテに翌晩の宿泊を予約し、出発も12/27の昼と決めた。夜になり、水上IC付近で67台が絡む多重事故により20台もの車両が燃える惨事が発生し、関越自動車道は通行止になった。クワバラクワバラ。

翌12/27の出発時点になってもこの通行止は解けておらず、帰省ラッシュと重なって大渋滞になると覚悟しながら練馬をアトにする。ところが普段の週末より車は少なく、関越はもちろん、月夜野から湯沢までの国道17号三国峠越えも渋滞にはならなかった。前泊宿は2食付1泊8000円弱とリーズナブルで、ゆったりと英気を養えた。

翌朝、宿の前に止めた車には25cmほど新たに雪が積もっており、スノーシューを装着して挑むこととなった。宿から数分車で登り、旧大原スキー場前に車を駐め、ゲレンデ(だったところ)をラッセルし始める。

前回は2本のリフトを乗り継いで標高250mほど登れたが、スキー場は2019年に閉業となった。ワカン装着者は沈み方が大きく、残るスノーシュー組の3人回しでラッセルをこなす。2時間半もかけスキー場上部に到達。途中シールをつけたスキーヤー2人組に出会ったが登山目的でなくここから滑降していった。

12年前の登山時の記録は、自分はGPSを活用し始める前であり、使えるのはアナログでガタピシの頭の中の記憶が頼りだ。たしかこの辺から森に入っていったはずという頼りない記憶と、今のGPS上に出る地形図を確かめながら名もなき支尾根を紡いでいく。ただ前回は野郎ども9人でのラッセルが、今回は自分以外は女性3名だ。力任せに行ったら到達はできない。ルーファイと速度に気を使う。

昨夜のまとまった降雪で少しはマシになったようだが、それでも藪やブッシュが行く手を阻み、容赦なく体力を削ぎ、速度も上がらなくなっていく。救いなのは、お昼を過ぎた頃から雲が消え青空が広がり、気温が上がり出したことだろう。(結局この陽気は翌日の下山まで続くこととなる)。冬至から1週間足らずで日はまだ短い。ブッシュだらけの痩せ尾根と格闘しているのは良いが、15:30を回り、稜線まで200m以上残しているようになると、さすがにテン場設営に気をもみ始める。標高1010m付近に奇跡的に棚状の平らみがありブッシュのないところを見つけ、即、そこで幕営することとした。到着してから30分で西の山の端に赤い夕日は沈んでいった。

翌朝4:30起床、6:30前にテントにデポし空荷で稜線を目指す。途中東の空から太陽が顔を出し、稜線にたどり着く。

あぁあれが守門岳か。たおやかな稜線の先に女性のツバの広い帽子のような山頂が鎮座しているのが見えた。

12年前は何も見えなかった。有名な雪庇もまだ発達していないし、当然隠れたクレパスも無い。誰ひとりいない貸切状態の稜線に我々4人の足跡を刻む。雲一つ無い青空のもと10時に登頂することができた。